第8章:華僑・華人の有名人

華僑・華人の有名人

前章では華僑・華人によって創業された企業に関してまとめました。

本章では、経営者にとどまらず、文化、スポーツ、芸術などさまざまな方面で活躍する華僑・華人について例を挙げてご紹介します。

アジア一の資産家 李嘉誠

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李 嘉誠は香港最大の企業「長江実業グループ」の創設者兼会長です。10年ほど前の世界長者番付では世界第8位にランクインするなど、現在でもアジアを代表する富豪として有名です。

李嘉誠は1928年に中国に生まれ、少年時代に香港(当時はイギリスの植民地)へ家族とともに移住しました。父親を若くして失ったため、中学校を卒業してから身を粉にして働き、一代にして香港最大の企業集団を作り上げた天才です。

李氏は慈善活動や後進の育成に熱心な人物で、アリババグループの創業者として有名な馬雲氏は李氏が設立した長江商学院でビジネスを学びました。

また、Facebook創業期に李氏は同社へ多額の投資をしています。当時80代ながら、Facebookの将来性を予測していたのです。

偉大な起業家は年齢を重ねてもビジネス感覚が衰えないものなのだと驚かされますね。

第一線を退いた現在は、孫娘を後継者とすべく熱心に教育しているのだとか。

オスカー女優 ミシェル・ヨー

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ミシェル・ヨーはマレーシア生まれのハリウッド女優で、両親は華僑です。

2023年のアカデミー賞で主演女優賞を受賞し、それはアジア系俳優として(男女を問わず)史上初の快挙となりました。

ヨーはもともとバレエダンサー志望であり、10代のころイギリスへ渡りトレーニングを積みましたが、ケガが原因でダンサーを断念。20代以降は女優としての才能を開花させ、激しいアクションシーンやスタントに挑戦し、女性アクションスターの先駆けになりました。コメディ映画やSF映画などにも出演し、演技力についても高い評価を受けました。

アカデミー主演女優賞の受賞に際し、ヨーは「私のような見た目のすべての男の子と女の子へ、これは希望と可能性の印です。夢がかなう証しです。そして女性の皆さん、『あなたはもう盛りを過ぎた』なんて誰にも言わせてはなりません」とコメントしました。

世界の舞台で頑張るアジア系の人々、特にアジア系女性を励ましてくれる、力強いエールですね。

なお、ヨーがアカデミー賞を受賞した際の主演映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は監督のダニエル・クワン、アカデミー助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンもともに華人(親が中国人)です。

三冠王 王貞治

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最後に日本人にとってなじみ深い人物をご紹介します。

元プロ野球選手・監督の王貞治氏も華僑の血筋です。

王氏の父親は1920年ごろに来日した中国人で、東京で中華料理店を営んでいました。

母親は日本人ですが、当時は中国人との結婚に対する世間の目が非常に厳しく、王氏や兄弟は幼少期は母の私生児として日本国籍を有し、終戦後に父と母が正式に婚姻関係を結んでから中国国籍となったという複雑な事情があったそうです。

野球選手としての王氏の活躍は改めて書き連ねる必要もないほど有名でしょう。

セ・リーグ初の三冠王であり、「一本足打法」と呼ばれる独特の打法で当時誰も及ばないほどの打数記録を打ち立てました。才能に恵まれ、身体も強健でありながら、誰よりも勤勉で努力家であったとの証言が多く残っています。

王氏自身は一度も中国で生活したことがありませんが、国籍は現在でも中国籍のままです。

自らの血筋、そして単身日本へ移住して家族を支えた父への尊敬があってのことかもしれませんね。

まとめ

本章では華僑・華人の有名人を3名取り上げてご紹介しました。

3人に共通するのは、自分が進むと決めた道をただひたすら突き進み、夢をかなえることが出来たという点ではないでしょうか。

自分のルーツとは異なる国での生活、仕事には様々な苦労が伴うと思います。人種差別的な目を向けられたり、自分に非のないことで損をしたり挫折感を味わったりしたことが彼らにももしかしたらあったかもしれません。

辛抱強く夢を追う強さ、粘り強さをぜひ見習いたいですね。

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