第9章:地域別華僑・華人

地域別華僑・華人

アジアを中心に拡がる華僑・華人の世界。これまでの章ではアジア諸国を中心に情報をまとめて来ましたが、本章では視野を広げ、ヨーロッパ、アフリカへ渡った華僑・華人について記します。

華僑・華人の世界分布

視野を広げ…とは言ったものの、華僑・華人の地域別人口を正確に把握することは容易ではありません。何故なら、彼らに関する人口統計が極めて限られているからです。

その限られたデータを参考にざっくりと把握してみると、2000年時点で華僑・華人の人口は約4000万人ほどあり、その80%がアジア諸国に居住し、次いで10%がアメリカ、3%がヨーロッパ、あとはアフリカやオセアニアに移住した人もいる、という結果でした。

アジアの中で見ると、これまで述べたように東南アジア諸国(ASEAN)への移住が最も多く、具体的な国名を挙げると、インドネシア(約1000万人)、タイ(約800万人)、マレーシア(約568万人)の順で人口が多くなっています。

また、南北アメリカ大陸の華僑・華人人口は、アメリカ合衆国(約243万人)、カナダ(約100万人)、ペルー(約30万人)の順で多いです。

ヨーロッパの華僑・華人

それでは具体的に、地域別の華僑・華人の概況について見ていきましょう。

まずはヨーロッパへ渡った華僑・華人についてです。

文献によると、17世紀にはヨーロッパ地域に中国からの移民がいたとされ、彼らは苦力(東南アジアや北米へ渡った肉体労働者)のように一時的な契約労働者として働く者、または中国原産の宝石などをヨーロッパへ持ち込んで財を築く者などがいました。

ヨーロッパ諸国へ渡る中国系移民の数は二度の大戦前後も多く存在しました。第一次大戦期の「苦学生派遣運動(勤工倹学運動)」という労働力不足を補うための中国人学生受け入れには、のちに中国共産党最高指導者へ上り詰めた鄧小平が参加していたことが有名です。

20世紀初頭には西ヨーロッパの多くの都市に「中国人密集区」が存在しており、広東省から来た船乗り、浙江省から来た商人、戦争時の労働力や兵力として渡った者、同じく労働力に数えられた留学生など、大勢の華僑がヨーロッパで生きていたのです。

アフリカの華僑・華人

中国は、新型コロナウイルスの感染拡大による影響はあるものの、現在アフリカ諸国にとって最大の貿易相手国です。他の章で述べた「一帯一路」構想の一環として、中国はアフリカ諸国に対し、インフラ建設の資金提供のみならず、技術移転にも積極的に取り組んでいます。最近では、アフリカ諸国の主要産業の1つである農業分野の協力も打ち出しはじめており、アフリカの対中貿易赤字の解消にも力を入れ始めました。

アフリカの中で最も華僑・華人人口の多い都市はヨハネスブルク(南アフリカ)です。

南アフリカへ渡った華僑・華人は17世紀ごろにはすでにいたと記録が残っています。その頃の華僑・華人は、中国の広東省周辺から来た人、または当時のオランダの植民地であった東南アジアから放出された人々でした。20世紀初めになると南アフリカで金が発見され、金鉱山での労働力不足を補うために中国から契約労働者が求められるようになりました。

南アフリカにおける華僑・華人の起源として、研究者の山下清海氏は3つに分類できると論稿の中で述べています。

それは、①中国および南アジアの自由移民、②オランダ領の東南アジア植民地から来た人々、そして③契約労働で南アフリカに来て契約終了後も残留した人々です。


20世紀の初めの華僑・華人のうち南アフリカへ定着した人の数は多くなく、ほとんどの人は労働契約の期間を終えるなどして中国に帰国しました。


南アフリカの華僑・華人の人口が増加したのは第二次世界大戦が終わってからの事です。
20世紀末、1994年時点では、南アフリカ在住華人の総数は3万人で、そのうち老華僑が7千人、中国大陸もしくは香港から渡ってきた新華僑が7千~8千人、台湾出身者が1万5千人いたそうです。

南アフリカといえば人種隔離制度(アパルトヘイト)が存在していましたが、華僑・華人はカラード(白人と有色人種の混血)に区分され、白人のような立場は持たなかったものの、商業上の制限や差別を受けることはなく商売、居住を目的とするあらゆる人種地域への立ち入りが認められていました。



1980年代になると改革開放政策に伴い、アフリカへ渡る華僑・華人がさらに増加しました。

南アフリカ政府も、移民受け入れの政策をとり、以降南アフリカは華僑・華人にとって主要な移住先と考えられています。

まとめ

ヨーロッパ、そしてアフリカへ渡った華僑・華人の概況について調べてみると、世界大戦前後は労働力として渡った人々が多かったものの、中国から産出される宝石の商人など、商売のスキルによって異国の地で奮闘していた人もいたことが垣間見れます。

また、南アフリカのアパルトヘイトに対して、当時の華僑・華人は「白人と同等の立場をくれ」とはっきり主張したそうです。そのおかげか、前述のようにビジネスや生活でさほど差別されることない立場を彼らは手に入れました。

華僑・華人の人々の賢さ、力強さを強く感じますね。

《参考文献》

游仲勲『ヨーロッパの華僑・華人 歴史・現状外観』神田外語大学 異文化コミュニケーション研究 第13号 2001年

山下清海『南アフリカ、ヨハネスブルクのチャイナタウンの形成と変容』立正大学 地球環境研究 第21号  2019年

張長平『華人の世界分布と地域分析』東洋大学 国際地域学研究 第12号 2009年

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